« 自覚症状の始め 2006年9月下旬 | トップページ | 入院中の頃 2006年10月上旬 »

初めての入院 2006年10月6日(金)

2006年10月3日(火)に診察を終えた母は、10月6日(金)に更に様々な検査を行うことを説明されたようです。血液検査・CT検査・・など。まだこの時点では母は入院することになるなど想像もしていませんでした。せいぜい通院しながら治療していく、ぐらいにしか思っていませんでした。

その時にもらった説明書が以下のものです。

Photo_6 0001_2 0002_1 0003 Photo_7

この説明書によると、症状・疾病名 肝腫瘤 と書いてあります。

母は診察を終えて家に帰ってきてから私に 「 肝腫瘤 って何かしらね~? おそらく癌じゃないかしら・・」

と言っていたの覚えています。聞かれた私も医学知識は無いので 「 癌じゃないんじゃない? なんか別の病気じゃない?」などと曖昧な返事をしました。

それから夕飯が終わってからも母は一人で机の前に座り、家庭医学事典などを見て、この肝腫瘤 について勝ってな想像を巡らせていたようでした。

母が「癌じゃないかしら?」と疑ったことには大きな理由があります。

母の兄妹がこの4年間のうちに、3人が例外なく癌で亡くなっているからでした。一人は肺ガン、一人は膵臓癌、もう一人は胃がんでした。母の父親も、母が14才の中学生の時に胃ガンで亡くなっていました。

この事実からして、いわゆる癌の家系と疑わざるをえない状況だったからです。

そして10月6日(金)の朝、母は一人で病院に出かけました。

で、その日の夕方前に母から 「 今日から緊急に入院する・・」と家に電話がありました。

Photo_8

私は母に 「どのくらい入院するの?」と聞きました。そうすると母は 「 明日帰る 」と言いました。私の頭の中は ?? でした。 母の説明によれば、10月7日(土)~10月9(月、祝日の振り替え休日)の3連休の後だと病室が満室になる可能性があるので、今夜6日から入院になった、とのことでした。

いわゆる検査入院というものでした。この時点では何もわかっていなかったので、あ~なるほど・・、と淡々と考えていました。もう70才になる年齢の老人だし、多少身体が痛み始めるのもしかたがない・・などと、全く他人事のように思っていました。この10月7日からの3連休に、私は友人と岐阜県側の白山にキャンプへ行く計画があり、その準備で忙しくしていました。キャンプの出発が夜中になるので、夕方に仮眠をとろうと私は家の2階の部屋で寝ていました。

それからその日の夜7時前に大きな声を出しながら家の玄関や壁を叩く大きな音で私は起こされました。何か尋常ではない切迫した感じでした。それは近所の知人の哲夫さんでした。母親が私の携帯電話に何度も電話しても出ないので、しかたなく、母が暗記していた哲夫さんの電話番号に電話をして呼び出したそうでした。

「 病院のおかあさんから電話もらってね・・なんでも、医者から家族に話があるっていうからさぁ・・ 」

「 はい。でも今夜じゃないでしょ?」

「 うん。今夜じゃない。・・・え~と・・忘れちゃったよ・・・」

「 はい。でも母親本人は明日帰ってきますよ 」

「 あら・・そうなの?!」

仮眠から叩き起こされましたが、病院までは車でほんの10分程度なので2人で母親に会いに行きました。

その夜はもの凄い豪雨だったことを覚えています。病院の駐車場から病棟に行くまでにかなり濡れてしまいました。病室に着くと母親は暇そうにベッドに腰掛けていました。

「 あら!わざわざ来てくれたの。明日帰るのに。それより携帯電話がつながらないわよ!」

哲夫さんは、母から聞いた、家族への説明日時を忘れてここへ来たことを告げました。

「 携帯電話がつながらないのは、非通知設定にしてるからだよ。こんなに振り込め詐欺が横行してるときに、非通知でかけるなんて非常識だよ~」

「 そうか! ごめんなさいねぇ。 哲夫さんには迷惑かけちゃって・・」

「 で、いつ、先生から説明があるの?」

「 それは10月10日(火)の夕方5時ごろだそうよ。時間大丈夫?」

「 大丈夫だよ 」

「 だけど病院ってつまんないねぇ~。食事もまずいって言うじゃない・・・」

「 ここはホテルじゃないの。病人が寝泊まりする病院なの!」

母はそんな暢気なことを言ってました。

|

« 自覚症状の始め 2006年9月下旬 | トップページ | 入院中の頃 2006年10月上旬 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 自覚症状の始め 2006年9月下旬 | トップページ | 入院中の頃 2006年10月上旬 »