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悲しい嘘の始まり  2006年10月29日(日)

2006年10月26日(木)の夕方に、母親の余命が3ヶ月あるかどうか、という非常に切迫した状態にあることがわかりました。

胆管に巣くった癌は5cm以上にもなり、身体の表面が腫れてきている・・・また、リンパ節だけじゃなく、既に骨髄によって全身に癌が広がっている・・・。

抗ガン剤治療は効果が出るまで2~3ヶ月かかるとのこと。それまでに母は死んでしまうかもしれない・・・

私は医師の真摯な説明から、おそらくは年内には死亡の可能性がかなり高いことを予感しました。余命3ヶ月なんてもんじゃなく、あと1ヶ月ないかもしれない。今元気に見えるのはモルヒネによって痛みを止めているからで、そうでなければ、もう起きあがれない状態なのかもしれない・・・

母は3ヶ月以内に確実に死ぬ。病状は末期の癌。非情な現実だけれども、もう誰にも、どうすることも出来ない。

生きていられる残り少ない時間に果たして何をすべきなのか? 私自身が母の立場なら、どうしたいか? 答えはすぐに出ました。

この事実を正確に、母の兄妹や友人に伝えて、最期の残された時間を有意義に過ごすこと。それしかないと考えました。

余命宣告を受けて病院から家に帰り、直ぐに、親しい母の弟である叔父さんに電話しました。叔父さんもとても驚いていました。そして2006年10月29日の日曜日に、叔父の家に親戚一同が集まるから説明をして欲しいと頼まれました。日曜日の午後、親戚一同が集まった席で、私は母親があと3ヶ月の余命であることの説明をしました。何度も前述してますが、母の兄や姉はこの3年内に癌で死んでいます。その残された叔父さんや叔母さん達も来て話を聞いていました。

実際に出来ることは、死が迫っている母に対して出来ることはお見舞いに来て話をすることぐらいです。しかし、みんながいっせいに押し寄せたら、病気の状態がかなり悪いことが母にバレてしまいます。末期ガン患者の様子は母親自身が一番良く知っています。なぜなら、肺ガンで死んだ母の兄を頻繁に見舞っていたのは母自身でしたから。

翌日から毎日毎日、母の兄妹がそれぞれ見舞いに来るようになりました。この頃、母から「 最近、毎日みんなお見舞いにくるんだけど・・・」と言われたのを覚えています。私は予め用意しておいた嘘の理由を母に説明しました。「 あ~・・それは、叔母さん(母の妹)が異常に騒いでいるみたいだからだよ。叔母さんはいっつもそうじゃん。小さな事でも大騒ぎしてるじゃん」と言いました。母は「 はぁ・・・やっぱそうなのね。大した入院じゃないんだから・・・もうすぐ退院するのにねぇ・・・」と、すっかり騙されていたようでした。

大騒ぎの張本人にされた叔母さんは、「 あたしが大騒ぎしたってことにしといていいわよ。そうしておいてね。それで姉さんが最期まで騙されてくれるなら・・・」

母が入院して留守がちな家の留守電に、母の友人からのメッセージが入っていました。そして、この頃、ちょうど家にいた私が電話を受けた母の友人に、母が余命3ヶ月もない末期の癌で入院していることを話しました。「 こないだまであんなに元気だったのに・・・じゃあ早速お見舞いに行かせていただきますね。勿論、本人にはこの余命の話は絶対内緒にしてね・・」

母の周りの人々が、母に対してとても気をつかって戴いて、最期の時間を穏やかに過ごす準備が整いました。

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